監視妄想や被害妄想から抜け出させる為の方法

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監視妄想や被害妄想から抜け出させる為には
こちらは、本人ではなく、親御さん・友人知人用です。
(執筆中)



はじめに

このページでは、集団ストーカーやガスライティングとしてではなく、監視妄想や被害妄想から抜け出させる方法を書いていきます。

また、ここではJG式脳トレ「心の解体新書」をテキストとして使用します.ので、まずはテキストをダウンロードしてください。(無料)
また、個別相談を希望される方は、左の相談フォームからご相談ください。
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病名は違えど、妄想の原理は同じ

まず最初に、病気の症状として妄想があると言う考え方はやめましょう。
統合失調症や認知症だから妄想が有る訳では無く、心の病に共通する症状でもあり、妄想は、病気ではなく環境や資質が生み出させる物でもあり、妄想を生み出す環境にいたり資質を持っているから病気になるのです。
監視妄想や被害妄想に陥る人は病気以前に病気になる資質を備えているのです。

監視妄想や被害妄想から抜け出させる為には、被害妄想が何故起きるのかを知り、原因を取り除き、資質を改善すれば、被害妄想は消えるのです。

私は色々と、心に病を持つ人に接してきましたが、鬱病にしろ、統合失調症にしろ、根本的には他人に対する信頼を失っていない人もいます。

そうした人は、単にストレス耐性が弱いだけの人が多く、被害妄想は持っていても集団ストーカー妄想までは至っていない場合が多いのです。

逆に、発病していない人でも集団ストーカー妄想を持っている人もいて、その人達は他人に対する信頼を持っていない人が多く、そうした人達は、他人を信じない人を信じる傾向があります。

その為、何でも疑いを持つ自称被害者のHPにのめり込んで集団ストーカー妄想を持って行きます。

集団ストーカー妄想に至らない被害妄想は、ストレス耐性が弱いだけの場合が多く、集団ストーカー妄想に至る人は社会性が失われている人とも言えるのです。

つまり、妄想の質で大まかな要因が分かり、その要因にあった対応が必要になります。

インターネットマインドコントロールも読まれる事をお奨めします。

妄想は脳の文字化け

世界を認知しているのは「脳」です。
私達が見ている世界は、脳が感じている世界なのです。
被害妄想や監視妄想は脳の文字化けのような物なのです。

それでは、文字化けを使って被害妄想の人に見えている世界を疑似体験してみましょう。

こちらをクリックしてください←クリック
新しいウインドウでショッピングのページが表示されます。
おそらく大半の人のパソコンでは正しく表示されていると思います。
その状態が正常な人が見えている世界です。
商品の画像が表示されて、説明や、金額が日本語で表示されています。
商品の写真を「見えている世界」、説明を「世界の理解」、金額を「価値感」に置き換えて見て下さい。

次に、そのショッピングのページでマウスを右クリックして、「エンコード」を選択、そして「その他」にカーソルを合わせてアラビア語や中国語など、日本語以外の言語に切り替えてみてください。
ショッピングのページが文字化けを起こします。
(戻り方は、日本語自動選択に戻す、画面が変わらなければリロードすれば戻ります)

それが、被害妄想や監視妄想に陥ってしまった人が見えている世界です。
写真などの画像は、同じに見えていても、意味不明の文字。
今まで正しく表示されていた世界が、いきなり世界がこんな風に見えてしまえば不安になりますよね。

日本語で書かれたこのページが、文字化けを起こして変な表示に見えているのも、紛れも無い現実です。
見えている世界が違う人に、自分が見えている世界の話をしても理解出来ません。

また、このエンコード(文字コード)と言う物は、同じ日本語でも表示のされ方が違うのです。
マウスを右クリック、エンコードを選択、「その他」にカーソルを合わせて「日本語(EUC)」を選択してみてください。
同じ日本語でも文字化けが起こります。

これが、被害妄想や監視妄想を持っている人との接し方で、難しい所です。
エンコードを「日本語」にすれば治るからと言っても、「日本語(EUC)」は外国語と同じ「その他」の中に有ります。
エンコードを日本語にしろと言われても、「その他」の世界に迷い込んでしまった人は、「その他」の中の日本語を選んでしまいます。
それが「日本語(EUC)」で、同じ日本語でも文字化けしてしまうのです。
エンコードを日本語に変える以前に「その他」の世界から抜け出す方法を示さなければ、文字化けは治りません。

その事を理解せずに、それを「妄想だ!」と決め付けてしまっても、見えている世界が違う人には理解できませんよね。
見えている世界が違う人からすれば、自分の見えている世界の方が現実で、相手にはこの現実が見えていないとしか思えないです。

さて、被害妄想や監視妄想は脳の文字化け、ではその文字化けの原因は?
それはページに埋め込まれている文字コードなのです。

ここで一度、今表示されているこのページを右クリックして「ソースの表示」をクリックしてみて下さい。
ソース(テキスト形式)が表示されます。
その最上部に「<META http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=UTF-8"> 」と言うタグが入っています。

この中の「UTF-8」が、「日本語ECU」だったり「日本語(シフトJIS)」だったり、他の言語コードだったりすると、文字化けが起こります。
また、このページの文字コードは「UTF-8」ですが、先ほどのショッピングページでは、文字コードは「Shift_JIS」を使っていますので、ショッピングのページで、エンコードを「UTF-8」や「日本語ECU」にすると文字化けが起こります。


不思議ですよね?
このページの文字コードはUTF-8を使い、ショッピングページの文字コードはShift_JISを使っているのに、普段はエンコードを切り替えなくてもホームページは正しく表示されますよね。

エンコードを切り替えなくても適切に表示される一つの理由は「日本語(自動選択)」になっているからなのです。
それを人間に置き換えると柔軟性や多様性であり、柔軟性を身に付けずに育ったり、失われてしまう事が原因で被害妄想や監視妄想の世界に陥ります。

被害妄想や監視妄想に陥った時点では、「日本語(自動選択)」のチェックが外れた状態で、その時点であれば、「日本語(自動選択)」にチェックを入れるだけで戻ります。
しかし、右クリックしてエンコードにカーソルを合わせると、先に進める項目は「その他」しかありませんよね。



つまり、自動選択のチェックを入れるだけで済む時に、下手に追い込んでしまうと逃げ道は「その他」しかなく、迷宮に迷い込んでしまうのです。

エンコードの「その他」の迷宮に迷い込んでしまう事が「病気」と考えれば分かりやすいでしょう。

また、被害妄想や監視妄想を、ホームページのエンコードに置き換える例えには、もう一つの側面があります。

ホームページは、インターネットの中にあります。
インターネットとは、繋がりの世界であり社会性を意味します。
社会に出て、周りの人が皆文字化けして見えていたり、最初は正しく表示されていたのが文字化けして見え始めたら、困り果ててしまいますよね。

しかし、どんなに文字化けしても普遍的な文字も有ります。
それがアラビア数字です。
被害妄想や監視妄想の人と接する時は、アラビア数字になる事です。


そして、被害妄想や監視妄想を消す方法は2つあります。
本人の文字コードを書き換えるか、周りが本人文字コードにエンコードを合わせるかすれば文字化け、つまり被害妄想や監視妄想は消えるのです。

※被害妄想の詳しい原理は、テキストP94を参照して下さい。

基本的な接し方

被害妄想や監視妄想を持つ人との接し方の基本は、否定も肯定もせずに話を聞いてあげるだけ。

肯定は妄想に確信を与え、否定は関係を悪化させてしまいます。

「話を聞くだけ」と言っても、聞いているだけでは何の意味もありません。

被害妄想や監視妄想の人が語る「被害」とは願望であり、話を聞く事で、その人の持つ「深層願望」が分かります。

自己否定の強さに比例して、願望に対する欲求も強くなり、自己否定と願望の欲求との解離の幅が被害妄想の強さに比例します。
そして、自己否定の強さは内在する自己愛の強さに比例します。
これらは全て同質の物の反転した関係なので、対極にある感情とは必ず比例するのです。

本人の話す被害妄想や監視妄想から、深層願望を読み取り、本人の育った環境や周囲の環境から、深層願望の成就を阻害している物が何かを把握する事です。

文字化けの例えで言えば、話を聞く事はソースチェックと同じ事なのです。
ソースチェックをすれば、どんな文字コートが使われているか分かりますよね。
そして「否定も肯定もせず」と言う接し方が、アラビア数字になると言う事なのです。


ちなみに、ホームページでも文字コードが埋め込まれている所は<HEAD>「頭」の中です。


否定も肯定もせず、話を聞くとは一体どんな話し方をしたらよいのでしょう。
それは、質問形式で話す事です。(参考テキストP25)

被害妄想や監視妄想を口走り始めたら、その事に付いて質問して行くのです。
「何処で?」・・・・「そりゃあ大変だったね」・・・「どんな人だったの」・・・「そうなの?」・・・「大丈夫だった?」・・・「他には」・・・と、質問を繰り返すだけで、「他には」と別事に話を移し、同じような質問を繰り返していきます。

質問形式で聞き出して行く事が大切な事。
それが、脳の機能を回復させる為のトレーニングであり、質問される事は「自分に興味を持っている」と感じる話し方なのです。

そして、被害妄想や監視妄想の状態に陥ると、一瞬の間に多数の言葉が浮かび、それが一斉に口から出ようとしますので、口で交通渋滞(ボトルネック効果)が起こります。
伝えたい思いが交通渋滞を起こして伝わらない。
その為にストレスが溜まり爆発してしまいます。

質問形式の話は、そんな言葉を交通整理して出易くする意味を持ち、ストレスを低減させて、感情を沈める効果があるのです。(参考テキストP22〜)

被害妄想や監視妄想を持つ人達は、そうした会話を持たずに育てられて来たか、そうした能力を失ってしまっているのです。

被害妄想や監視妄想を起こす文字コード

被害妄想や監視妄想を文字化けに例えて書いて来ましたが、実際にエンコードや文字コードに相当する物は何なのでしょうか?

とりあえず、エンコードや文字コードに相当する物を箇条書きで書き出してみます。

柔軟性の欠落や多様性を持たない価値観
立場の逆転
性格と環境の不一致
願望の欲求と否定や拒否
与える、与えられると言う関係のアンバランス

こんな所でしょうか?
まずは、こうした事に該当する事が無かったか、調べて見ましょう。

疑似体験は大切

まずは、ここまでの事を少し振り返ってみましょう。

何故、文字化け等と言う突拍子も無い方法まで使って疑似体験する必要があるのか?
そんな事に意味があるのか?
この疑似体験を馬鹿らしいと思っているようでは、被害妄想や監視妄想を持つ人を追い込むだけです。

例えば、介護2級の講習にも、介護される側の疑似体験があると聞きます。
いや、無い方がおかしいでしょうね。

介護される側の気持ちを自ら体験しなければ、介護される側の本当の気持ちを理解する事は出来ません。

疑似体験もせずに「こうして欲しいだろう」「こうしなければ」と思う事は、自分の考えの押し付けでしかありません。

疑似体験しないという事は、相手を理解しようとしない事なのです。

老人介護であれば、疑似体験もし易いのですが、被害妄想や監視妄想を持つ人の感覚や、心の病を持つ人の感覚は、疑似体験のしようがありません。

文字化けを使うなど、馬鹿げた方法かもしれませんが、馬鹿げた方法でも試してみようと思う事が、相手を少しでも理解しようとする気持ちです。

その気持ちも無く、被害妄想や監視妄想を持つ人を立ち直らせる事など出来ません。
その気持ちを持たずに、立ち直らせようとする事は、自分の考えの押し付けでしかなく、被害妄想や監視妄想を持つ人を追い込んでしまうのです。

被害妄想や監視妄想を持つ人の話を沢山聞いて、少しでもその人のことを理解する事を心がける。

これが、被害妄想や監視妄想をもつ人に接する心構えなのです。

この事を踏まえて次に進みましょう。

まずは親身になって接する

当たり前のようですが、まずは親身になって接します。

親身に接した場合、相手の反応は基本的に3通り。

すがり付いて来るか、拒絶するか、犯人扱いするか。

また、この3パターンが組み合さっている事もあります。
それが、その人を被害妄想や監視妄想から抜け出させるポイントになります。

「すがり付き」は孤立や孤独。
「拒絶」や「拒否」は、期待し裏切られた時に、心が傷付く事から自分の心を守る為の防衛線。
「犯人扱い」は自責の念。

反応のパターンの組み合わせを見れば、その人の求めてい物がわかります。
求めている物が分かれば、求めている物を与えるか、求めている物を得られるだけの力を付けてやるか、求める物を得られる環境に身を置かせるか、環境を変えるかすれば良い訳です。

但し、それは一長一短に出来る物でもありません。
目に見える所を直そうとしても上手く行きません。
根本的な部分を見出し、根本的な部分から改善する必要があります。

まずは、ここまでの事を踏まえて注意点を考えて見ましょう。

注意点

被害妄想や監視妄想を持つ人を、健常者の感覚で見ていませんか?
被害妄想や監視妄想を持つ人を、健常者と同じ常識や健常者と同じ感覚を持っていると言う感覚から直しましょう。

健常者とは異なる感覚になっているから、被害妄想や監視妄想を持っているのです。
だからこそ、文字化けを使った彼等の感覚の違いを理解する必要があるのです。

彼等の感覚を理解ぜず、健常者の感覚で「それは違う」と言っても、彼等は理解できませんよね。
それは、自分は理解されていないと言う感情を生み、理解されていないと感じる事で、孤立感を深めてしまいます。

そして、健常者の感覚を押し付けようとする事は、被害妄想や監視妄想を持つ人の感覚を否定すると言うことになってしまいます。。
それは、彼等にとって「拒絶」や「拒否」される感覚になり、健常者としてはその人の為と思っていても、彼等を追い込む事になるのです。

また、彼等は否定的な説得を続けた人や、親身になって面倒を見た人に対して、犯人扱いし始めます。
まあ否定的な説得を続けるのも、親身になっているから説得するのであって、その人の事がどうでも良ければ相手をしません。
愛情の対極は無関心ですからね。

親身になっているのに、犯人扱いされてしまう。
親身になっている人には悲しい反応ですよね。

しかし、犯人扱いされるほど一生懸命頑張ったと言う証でもあるのです。

被害妄想や監視妄想を持つ人に、親身に接すると、なぜ犯人扱いされてしまうのか?
それが人間の持つ社会性でも有るのです。

社会性の基本は「協力と分け合い」です。
協力と分け合いは、「与えたら与え返す」を基に成り立っています。

親身に面倒を見られると、それに応えようと言う気持ちが出るのですが、今の現状では返せない事も知っています。
与えられた事に対して返せない状態になると、自責の念が生じます。
それが、被害妄想や監視妄想の原因の一つでもあり、親身に接する事は被害妄想や監視妄想の原因を増長する行為でもあるのです。

被害妄想や監視妄想を持つ人は、何とか助かろうともがいています。
そこに、救いの手を差し伸べれば、しがみ付いて来ます。
人は救いの手を差し伸べる時、片手を伸ばします。
しかし、片手では支え切れず、両手で助けようとすれば、彼等の目には振り払おうとする手に見えてしまいます。

また、親身に面倒を見て貰っていると言う事は、それだけ相手に迷惑をかけているという事でもあり、そこに加害者意識が生まれます。
人間は、自分が加害者である事に心が耐えられず、自分は被害者であろうとします。
それが、被害妄想であり監視妄想なのです。

では、どう接したらいいのか?
否定も肯定もせず、彼等に欠けている物を、身に付けられるよな経験を積ませてやる事です。(テキストP16参照)


孤独や孤立から考える

孤独感や孤立感に陥る原因を要約すれば、どれほど理屈をこねようとも、次の3つしかありません。

否定、自己否定、能力不足

否定は、友人からの拒否や拒絶、親からの否定や、親の価値観の押し付け。
自己否定は、自信喪失、自分の心を守る為の予防線。
能力不足は、コミュニケーション能力や経験の不足。

それらが、色々と組み合わさったりしています。

例えば、友人からの拒否や拒絶ですが、一方的に拒否や拒絶が在ったとしても必ずどこかに原因があります。

家庭だけの世界から、保育所などで他の子供達と初めて遊んだ時には、否定も自己否定も存在しません。
最初は皆同じ、最初にあるのは、積極的か消極的かの性格的な違いだけです。
そして、他人との交わりの中から、他人との違いに気付きます。
それが、劣等感と言う自己否定の始まりです。

劣等感とは何でしょう?(テキストP132参照)
それは、他人と自分との違いです。
他人との違いをマイナスに考えると劣等感になり、プラスに考えれば優越感になります。
自分では劣等意識を持っている物でも、他人は憧れ感じていたりします。
逆に、他人の持っている物に憧れていても、その人は劣等意識を持っていたりします。

では、劣等感をなくす、もしくは軽減する方法は?
それは、自分の悩みを人に打ち明ける事です。

社会性を備えている人であれば、誰かに悩みを打ち明けられると、自分の悩みも打ち明けようとします。
お互いに悩みを打ち明ければ、悩みを持っているのは自分だけでない事を知ります。
それが、「与えたら与え返す」と言う社会性の原点なのです。

自分の悩みを人に話し、その悩みを他人はどう思っているかを知れば、自分の視点とは別の視点を知る事になり、別の視点を持てば考えも変わります。
その為に必要な物が、経験とコミュニケーション能力です。

コミュニケーション能力に不可欠な物が、言語力です。(テキストP25参照)
言語力?ちゃんと言葉を交わしているのに?と思う人も多いと思います。
しかし、これが意外と身に付いていないのです。

感情を言葉にしようとする時、頭には様々な言葉が浮かびます。
思いが強ければ強いほど多くの言葉が浮かびます。
その多くの言葉が、一斉に口から出ようとして、口で言葉が詰まってしまいます。
それが、伝わらない苛立ちとなってしまいます。

それはそのままその人の思考パターンでもあるのです。
言葉は思考の道具です。

論理的な思考は、勉強ではなく言葉で身に付けるのです。
逆に、どれほど知識や理論を身に付けていても、言語力が身に付いていなければ誰にも伝える事は出来ません。

その言葉は、子供の頃に交わした親との会話で学びます。
かと言って、話をしていれば良いという物でもありません。

「基本的な接し方」で書いた、質問形式での会話の積み重ねが必要なのです。

子供は、のどが渇いてジュースが飲みたい時「ジュース」としか言いません。
それは、頭に浮かんだ言葉を口にしているだけです。

しかし、親が「ジュースがどうしたの?」と問いかければ、子供は「飲みたい」と答え、親が「どうして?」と問いかければ「のどが渇いたから」と答えます。

そうした問いかけによる会話をする事で、論理的な思考や会話が出来るようになり、頭も整理されて行きます。
そうした練習を積んで来なければ、自分の感情を言葉にする事が難しく、話をしても上手く伝わらないから話そうとせず、話さないから他人との意思疎通も出来ず、孤立感を深めていきます。

話さなければ、他人が何を考えているかなんて分かりませんよね。
「分かってもらえないから話さない」「話さなくても分かって欲しい」では何も伝わりません。
そんな人には、伝える術から教える必要が有るのです。

経験と理解

人間は、自分で経験した事がない事を理解する事はできません。
経験のない事を理解しようとする時、類似した蓄積された経験を参考に理解します。

経験の蓄積が少なければ、参考にする経験も少ないのです。

人間は、異なる視点で見る事で、他人の見ている物は、自分の見えている物とは違うと言う事を理解します。
それが、他人を理解する能力の原点になります。

異なる視点とは、異なる位置、異なる立場、異なる環境などがあり、子供の頃の遊びの中で自然に身に付けて行きます。

例えば鬼ごっこは、追う側のと追われる側の立場の両方を経験します。
かくれんぼも、隠れる側の立場と捜す側の立場の両方を経験します。
そこには「かわりばんこ」と言うルールがあり、「かわりばんこ」と言うルール自体が社会性の基礎になっています。(テキストP50〜56・P111参照)

そして、毎日遊ぶ事で異なる環境を経験します。

子供の頃の遊びは、社会に溶け込む為の準備です。
だからこそ、子供は遊びたがるのです。

もし、そうした遊びをして来なかったら、参考にする類似した経験が少なく、自分目線の判断しか出来なくなってしまいます。

類似した経験を持たない者に、経験のない事を理解させようとしても理解できるものでは有りません。

理解させようとするなら、説得するのではなく経験を積ませる事です。

しかし、同じ遊びでもTVゲームには経験の蓄積がありません。

親子関係を見直す

心の病の原因は多々ありますが、その中で最も多いのは幼年期からの親子関係です。

虐待やネグレストは言うまでもありませんが、問題が無いと思われる親子関係の中にも問題が潜んでいる場合があります。
まずは、何処に問題があるのかを洗い出していきましょう。

まず、何故虐待を受けたりネグレストの親に育てられると心の病を発症しやすくなるのでしょうか?

その最も大きな原因の一つに「愛着」があります。
親子関係で育まれた「愛着」を他人に応用してて「信頼」が生まれます。
親子関係で愛着を築けなかった子供は、他人に応用すべき愛着を持たない為、他人に対する信頼を持つ事が出来無いため、社会になじめずに孤立化してしまいます。

もう一つ、虐待やネグレストで育った子供は、受けた虐待に符合する脳の部位の血行が悪くなり、その部分が発達しなかったり萎縮しています。
そして、虐待やネグレストで育った子供の多くは、アダルトチルドレンと呼ばれる状態になり、アダルトチルドレンは広汎性発達障害と酷似しています。

広汎性発達障害は先天的な脳の障害に対してアダルトチルドレンは後天的と考えれば分かり易いでしょう。

これは、虐待やネグレストで育った子供が抱える問題ですが、愛情を持って育てたとしても、気付かずに同じ問題を作っていないでしょうか?

子供の為と思って買う、ベビーカーやベビーベッド、そしてTVゲームや携帯電話。
本当に子供の為なのか「自分(親)が安心したい為や、楽をする為」なのか、今一度考え直して見るべきだと思います。

さて、ここまでは虐待やネグレストを例にして来ましたが、虐待やネグレストとは無縁の人もいるでしょう。

では、虐待やネグレストとは無縁に育った人が、心の病を発症したり被害妄想に陥ってしまうのは何処に原因があるのでしょう?

その原因は、幼年期から少年期にかけての教育にあります。
さて、ここで「教育」と言う言葉を使いました。

幼年期から少年期の「教育」と言う言葉を聴いて、どのような教育を想像されたでしょう?

学習塾でしょうか?それとも読み・書き・そろばん・でしょうか?それとも英語教育でしょうか?
そうしたイメージを持ったとしたら、それこそが原因なのです。

幼年期から少年期の「教育」とは「遊び」です。ID・PW発行
同世代の子供と、どれだけ沢山遊び、遊びの中から興味を持った事を、どれだけ伸ばすかが、幼年期や少年期の教育なのです。

どれだけ頭が良くてもコミュニケーション能力が欠けていれば社会に順応出来ません。
そのコミュニケーション能力を養う時期が、幼年期方少年期なのです。
その時期にコミュニケーション能力が養われないと、コミュニケーション能力を身に付ける為には何倍もの時間がかかってしまいます。

「子供の頃から英才教育を施せば天才になる」と言われています。
それは、コミュニケーション能力の習得を犠牲にして、一技能に特化させると言う事でもあるのです。
早い時期から学習させれば物覚えが良く、遅れればそれだけ物覚えが悪くなる。
それは、コミュニケーション能力も同じなのです。

興味を持った事をどれだけ伸ばすか?
これも親の価値観で、将来役に立ちそうも無い事に一生懸命になっていれば、親は勉強しなさいと言い、止めさせようとししたりします。

どんなにくだらない事でも、一生懸命になって学んだ事は、他人より秀でる事になります。
それが「Only One」になり、個性となり、自信になり、人間としての付加価値になり、魅力になります。

それを禁止された子供は「No,1」を求められ、個性を失い、自慢できる自信も失うことに成ります。

どんなにくだらない事でも、一生懸命身に付けた物であれば、それを応用して他事の習得も早くなります。

そして、勉強とは頭を使わなくする訓練でもあるのです。
九九を言える子供と、指で数を数える子供、どちらが物事を考えているでしょう?

九九は記憶で、考えてはいません。
指で数える子供は、一生懸命考えています。

勉強とは楽をして答えを出そうとする訓練であり、思考ではなく「記憶」に依存した脳の使い方の訓練でもあるのです。(テキストP22参照)

しかし、好きな事を一生懸命する事は、思考を使い脳が活性化されます。

そして親子関係において最も大切な事は「愛着」です。
子供は親子関係で培われた愛着を、他人に応用して信頼になります。
応用すべき愛着が育っていなければ、他人を信じる事が出来ません。

その「愛着」とはいったいどんな物なのでしょうか?
それは、自分を守ってくれる存在であり、守られていると言う安心感です。

「背中を預ける」と言う言葉があります。
人間は自分一人だけでは身を守る事が出来ません。
だからこそ助け合って生きています。
人を信じ、背中を預け合う関係が無ければ、常に不安や恐怖が付きまとう事になります。

人を信じられなければ背中を預ける事は出来ず、常に背後の敵に気を気にしなけれればならりません。
そこに安心は無く、常に背後に不安を抱え続ける事になります。

それが孤独の恐怖であり、孤独は命の危険でもある為、人間は本能的に孤独を恐れるのです。
しかし、孤独の恐怖は本能で感じる恐怖である為、意識としては現れず、漠然とした不安として感じています。

さて、この関係が母子関係とどの様に関係しているのでしょう。
その原点は「無防備」なのです。

赤ちゃんは、体も動かせず、身を守る事も出来ない無防備な存在です。
それを母親が無償の愛で受け止める。
そこに「守り守られる」信頼関係が生まれます。
目の前の事に集中して遊んでいても、危険な背後は親が守っていてくれると信じる事から得られる安心感。
それが愛着の原点であり、信頼の原点なのです。

「背中を預ける」と言う関係は、この発展系です。

自分の背中は信頼できる人にしか任せられませんよね
相手から見て、自分が信頼されていなければ背中を任せて貰えませんよね。
誰かの背中を任せて貰えなければ、自分の背中も守ってもらえません。
誰か自分の背中を守ってよ!と頼んでも、誰も背中を守ってはくれません。
つまり、孤立して孤軍奮闘するしか無くなるのです。

しかし、信頼を得ていなくても、自分の背中を守ってもらう事は出来るのです。
それは、自分から誰かの背中を守る事です。
誰かの背中を守っていれば、結果的にその人に背中を守って貰う事になるのです。
そして、誰かの背中を守り続けていれば、その人から信頼を得られます。
自分の背中を守って欲しくば、誰かの背中を守る事から始めるのです。
これが人間の社会性の原点なのです。
(テキストP71〜75参照)


しかし、誰かの背中を守る事は、その人を信じて命を預ける覚悟がなければ出来る事ではありません。
その人に、無防備な背中を曝け出す事になるのですからね。
この関係は母子関係の「無防備な赤ちゃんに応える母親(無償の愛)」の関係と同じなのです。
そして、そうした関係を経済学では「コミットメント」として説明されています。(テキストP78参照)

さて、ここまでの話は「愛着」の原型です。
現代社会において、別に命の危険等滅多にある者ではありませんよね。

しかし、この原型は至る所で生きているのです。
本当に自分の事を考えて守ってくれているのか?
それを子供が感じ取るのが「無償の愛」なのです。

ここで一つ動画を見てもらいたいと思います。
参考動画←クリック

この動画に出ている親御さんは、セミナーで学び家に帰って実践していますが、息子は拒絶しています。

その原因が何処にあるかお分かりになるでしょうか?
恐らくこの親御さんは、息子さんを立ち直らせる事が出来ないでしょう。

それは、一つの言葉に集約されています。
それは、「恥ずかしい思い」と言う言葉です。

この言葉を発する事は「母親が恥ずかしい思いをしたくないから、自分にちゃんとしろ」と受け取られ、子供は恥ずかしい思いをしてまで、親が自分を守ってくれていると感じる事が出来ないのです。

これが、価値観の押し付けであり、セミナーで諭された事を判った気にはなっていますが、何処が悪いのかに気付いていないのです。

もしこの親御さんが、そうした事を一切口にせず、子供の知らない所で、只ひたすら自分の為に人に頭を下げている姿を子供が見たら、どう思うでしょうか?
恐らく、申し訳ないと思うでしょう。


それが、愛着の原点なのです。
愛する人に申し訳なく思う気持ち、愛する人に迷惑を掛けたくない気持ち、その気持ちに応えようとする気持ち、それが愛着の原点となります。

また、愛着が育っている子供に、過剰な期待を掛けると、期待に応えられない自責の念を持ってしまい、自責の念は被害妄想の原因になります。

この動画の親御さんの話の中に、もう一つにキーワードが含まれています。
会話が無かった、つまり「孤独や孤立から考える」で書いた質問形式による親子の会話が無かった事を示しています。

子供は授乳期から幼年期に掛けての母親からの愛情で愛着を学び、少年期から思春期にかけての父親との会話で社会性を学びます。

つまり、この親御さんがすべき事は、説教ではなく、まずは「会話の時間を増やす事」なのです。

そして母親ではなく父親が話しをする事。
何故なら、女性は論理的な話ではなく感情的な話になりがちで、男性は理屈で話をします。

理屈、つまり理論的な話しをする事で、理論的な理解が出来る能力が身に付き、それが言語能力を向上させ、コミュニケーション能力を高めます。

但し、父親にも言語力やコミュニケーション能力が備わっていなければこの限りではありません。


脳の発達と衰退

虐待やネグレストが脳の萎縮させる事で、少し脳の発達と衰退に目を向けて見ましょう。

脳を発達させるには、勉強をすれば良いのでしょうか?
実は、勉強では脳は発達しないのです。

少し視線を変えて見ましょう。
留置所・刑務所のような閉鎖的環境の中で発症することが多い「ガンザー症候群」と言う病気をご存知でしょうか?

ガンザー症候群は、簡単な質問に対して正しい答えを知っていると推測されるにも関わらず、「正解に近い曖昧な答え・的外れな馬鹿げた答え・文脈から外れた答え」を返してしまう症候群です。

また、ガンザー症候群には意識混濁など意識障害や幻覚(偽幻覚)、身体表現性障害が見られることもあります。
つまり、閉鎖環境による退行現象と考えて差し障り無いでしょう。

統合失調症の母親に8年間監禁され、19歳で発見された少女がいました。
その少女の学校への出席日数は、小学校3年の時は100数日、4年の時は50数日、5年の時は50日未満、6年の時は1日、中学は入学式とその翌日だけで、以後は監禁状態。

発見された時は言葉もしゃべれない状態で3歳レベルまで退行していたと言います。
また他の同様の事例では、1年半監禁されて発見された6歳の子供は、ハイハイしか出来なかったと言います。(テキサスとP9参照)

携帯依存の人がメールを打っている時の脳の活動を調べた実験があります。
その実験では、メールを打っている時には、前頭葉は活動しておらずフラットな状態で、携帯を取り上げられるとソワソワし始め、その時に前頭葉が活動を始めていました。

そして、再び携帯を与えたれると落ち着きを取り戻し、前頭葉はフラットな状態に戻って行くという結果が出ています。

またこんな実験もあります。
言葉と前頭葉の活動の関係を調べた実験です。
最初、被験者が目を合わせない相手に一方的に話し、次に被験者と目を合わせて相槌を打ち、次に目を合わせて会話をする。
その時の脳の活動を調べると、目を合わさずに一方的に話している時には、前頭葉は活動(血流が悪い)しておらず、目を合わせて相槌を打つと脳の側面が活動(血流が良くなる)を始め、目を合わせて会話をすると前頭葉まで活動が広がります。

脳は声だけでは脳は活性化せず、相手の表情を見て会話する事で活性化しているのです。
つまり、脳を活性化させ、発達させる為には、視線を合わせて会話をする事が必要と言う事と言う事なのです。(テキストP19参照)

さて、ここで虐待やネグレストによる脳の萎縮の原因とと見比べてみましょう。
その原因は、符合する脳の部位の血流悪化です。

子供の脳は成長過程にある脳です。
その成長過程である脳の血流を悪くする事、それが過度な勉強です。

メールを打つと言う、文章を考えてキーを押すと言う、一見脳を使っている行為をしていても、前頭葉は活動していません。
それは、勉強も同じ事です。

つまり、友達と遊ぶ時間を減らして勉強させる事は、結果として脳に虐待と同じ影響をもたらす事が懸念されるのです。

そして「遊び」に対する認識も改める必要があると思います。
子供は遊びの中で「社会性」の基礎を学びます。

社会性とは「協力」と「分け合い」から成り立っています。
その根底にある概念は「かわりばんこ」です。

昔からの遊びには、そうした社会性の概念が詰まっています。
例えば鬼ごっこ。
鬼を交代でする事で、遊びが成り立ちます。
鬼になる事が嫌でも、鬼に捕まれば鬼をやらなくてはなりません。
自分が鬼を拒めば、皆が楽しく遊べず、仲間外れになってしまいます。

自分も楽しく、皆も楽しく遊ぶには、鬼に捕まれば自分が鬼をやるしかありません。
子供はそうした遊びの中で、自己抑制や共同作業の概念を学ぶのです。

しかし、遊びと言ってもテレビゲームには、そうした概念がありません。
テレビゲームで友達と遊ぶ場合、対戦プレイなど「自分も参加」します。
それでは「交代」の概念や「自己抑制」の感覚が育まれません。

また、勉強が忙しく友達と会う時間が取れずに「携帯メール」でやり取りする。
実験でも証明されているように、これでは前頭葉は発達しませんよね。

心の病の原因は、継続的精神ストレスです。
ストレスを感じるのは扁桃体です。
その扁桃体を抑えるのが前頭葉です。
つまり、前頭葉が発達していなければ、扁桃体からの衝動を抑えることが出来ないのです。

その前頭葉は、勉強では発達せず、五感からの刺激とコミュニケーションによって発達するのです。
その子供の成長期に、五感からの刺激やコミュニケーションの時間を奪っていませんでしたか?

子供の頃に過度に勉強をさせる事は、虐待と同じ問題を生むのです。

比較と基準

唐突ですが、貧困とは何でしょう?
貧困国と呼ばれる国は、本当の意味で貧困なのでしょうか?

例えば、石器時代に狩をして生活していた人は貧困なのでしょうか?
いや、自分の事を貧困だと思っていたのでしょうか?

恐らく、貧困という概念すらなかったでしょう。

昔、ブッシュマンと言う映画が有りました。

その映画に出ていたニカウさんは貧困という概念を持っていたのでしょうか?
映画を見る限りでは、皆幸せそうな優しい顔をしていました。

貧困国と呼ばれる国の人と、原始的な生活を送っている人、どちらが「貧困」なのでしょうか?

その疑問その物が、恐らく答えでしょう。

それは「比較」なのです。

比較する物がなければ、貧困と言う概念は生まれません。
他者と比較するから格差の概念が生まれます。

もし、貧困国と呼ばれる国の人が、比較すべき他者の情報を全く知らずに生活していたら、貧困という概念は生まれるのでしょうか?

恐らく、豊作の時、不作の時の環境の違いだけの貧困に対する概念が生まれるでしょう。

逆に、毎年同じだけ収穫できるのなら、そうした貧困の概念も生まれないでしょう。

「あの頃は良かった」という感情がそれに当たります。

では、喜びと言う物を考えてみましょう。
原始的な生活を送っている人に、喜びはないのでしょうか?

原始的な生活を送っている人にも喜びや悲しみはあります。

例えば、獲物が獲れた時、食べ物を食べる時には、食べられる喜びを感じるでしょう。
しかし、、食べられないひもじさを経験していなければ、喜びとして感じないでしょう。

そんな原始的な生活をしている人に、鬱病は発症するのでしょうか?

ここで、もう一度「貧困」という物を考えてみよう。
原始的な生活を送る人と、貧困国と呼ばれる国に住んでいる人、どちらが貧困なのでしょうか?

生活レベルから見ると、家も持たず狩をしながら原始的な生活をしている方が貧困と言えるのではないでしょうか?

しかし彼らは貧困ではありません。


以前、あるテレビ番組で、ある村の特集番組を見ました。

その村に住んでいたのは、かつて原始的な生活を送っていた人達です。

その原始的な生活を送っていた人を西洋人が発見し、人間らしい文化的な生活をさせる為に西洋文明を伝えました。
村人は、西洋人が来るまでは皆幸せだったと言います。


西洋人が、服やテレビなど村人に教える。
服やテレビはお金を払って買わなければならない。
そのお金を作るには働かなければならない。
働くには町に出なければならない。

そして家族が離れ離れになってしまう。

一人が待ちに出て文明品を持ち帰ると、連鎖的に文明を求める人が出て来る。
村で便利な電気製品を使うには電気がいる。
電気もただではない。
またお金がいる。

西欧文明入ってきた事で、お金に追われ、家族と過ごす時間が無くなり、幸せではなくなる。

では、文明が貧困の原因なのでしょうか?
いやそうではありません。

違いは「比較」でしかないのです。

平等を求める心理が、貧困と言う概念を生みます。
その平等とは、比較する物が無ければ生まれません。

貧困と感じるかどうかは、比較の概念次第で変わるのです。
つまり、比較の対象を変えてしまえば貧困の概念も変わるのです。

さて、この比較と言う物を、もう少し詳しく掘り下げて見ましょう。
比較で重要になるのは「公平性」です。

人は皆平等を求め、不平等を感じると不満や怒りを感じます。
しかし、この平等と言う「感覚」は、バランスで成り立っています。

世の中、全ての人が同じ境遇、同じ環境ではありません。
ある人は、AとBを持っている。
ある人は、AとCを持っている。
その、二人にDを与えても不公平感は出ません。

しかし、AもBもCも持っている人にも、Dを与えれば不公平感が出ます。

問題は、相手が何を持っているか、何を持っていないかは、コミュニケーションを取っていなければ分からないのです。

つまり、コミュニケーションを取っていなければ、相手は本当は何を持っていて何を持っていないかが分からず、自分より沢山の物を持っていると錯覚してしまい、不公平感を持ってしまうのです。

また、コミュニケーションを取り、相手を理解し、仲間意識を持った相手には「親和性」が生まれ、相手を「許す」事が出来ます。

恵まれていると思っていた相手。
羨んでいた相手。

その人と話さなければ、その人を知る事は出来ません。
話してもいない相手の境遇は想像でしかないのです。

ここで重要なのが「コミットメント」なのです。

人は自分の弱みを見せようとはしません。
しかし、自分の弱みを見せた相手には、自分の弱みを見せようとします。
いわゆる「打ち明け話」と言う物ですね。

打ち明け話をお互いにする事で、相手も自分と同じ様に悩み、自分と同じ様に迷っている事を知ります。

そして、そうした関係が広がって行くと、誰もが悩みを抱えている事を知り、自分だけが悩んでいる訳ではない事を知り、社会に対する親和性が生まれます。

コミットメントが出来ない人は、社会に対する親和性が生まれず、常に不公平感から、不満や怒りを感じ、「許す」事が出来ないでいる事になります。

その不満や怒りが妄想を生んで行きます。


監視妄想や被害妄想から抜け出す方法とは、自分のコミュニケーション能力を高める事なのです。

原因を探ってみる

心の病を発症させる原因は、ストレス耐性と社会性と言っても過言ではありません。
その要因をいくつか書き出して見ますので、何が当てはまるのか?思い返してみてください。

仕事が忙しくて授業参観や運動会を見に行った事がない。
社会性の低下

学校から子供が帰って、子供が話そうとした時に、忙しいからと子供の話を聞いてやらなかった。
社会性の低下

勉強と言う言葉を、子供の相手をする面倒から逃げる為に使っていた。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下


子供が夢を話した時に否定した事がある、若しくは夢について肯定的に語り合った事がない。
社会性の低下

小学生入学以降、子供との会話時間が少なかった。
社会性の低下

子供はゲームや携帯に熱中して、友達と外で遊んでいた時間が少なかった。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

友達と喧嘩をして、仲直りをした経験が無い、若しくは少ない。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

危ない事はさせなかった。
ストレス耐性の低下

父親と相撲を取ったり、キャッチボールをしたり、一緒に風呂に入ったり、手をつないで歩いたり、肌を触れ合う時間が少なかった。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

自分の子供を他の子供と比較して育てていた。
社会性の低下

子供の前で夫婦喧嘩が絶えなかったり、母親が子供の前で父親に対する愚痴や悪口を言っていた。
社会性の低下

失敗を怒ったり、失敗をするなと教えていた。(勉強に関しても)
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

好きな事をさせずに、勉強をさせたり、目的もなく大学へ入る事を優先させていた。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

泥まみれになって遊ぶ事がなかったり、服を汚して帰ってくると叱った。
ストレス耐性の低下

夕食に家族揃っての団欒がなかった。
社会性の低下

育児環境はエアコンの効いた部屋だったり、子供部屋にもエアコンが付いていた。
ストレス耐性の低下

子供に家事など、家の仕事を手伝わせなかった。
社会性の低下

子供が一人で何かをしようとした時、親が口出しをしたり、手助けをしていた。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

子供にねだられると、すぐに新しい物を買い与えていた。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

父親や父親に変わる人がいなかった。
社会性の低下

子供は苦労の経験がない、若しくは苦労の経験が少ない。
ストレス耐性の低下

子供の質問に、すぐに回答を教えた。
社会性の低下と、ストレス耐性の低下

勉強やしつけ等の教育を、学校や塾に任せにしていた。
社会性の低下

人に迷惑を掛けるなと教えていた。
社会性の低下とストレス耐性の低下

損得勘定で話をしていた
社会性の低下

完璧な親を目指していた
社会性の低下

仕事の差別意識を植え付けていた
社会性の低下とストレス耐性の低下


こうした事は、自分の子供だけではなく、親御さん自身にも当てはまるかどうかを思い返してみてください。

人は、自分の育った環境が当たり前に思い、同じ様に子供を育ててしまいます。
それが「伝播」です。

当たり前と思っている事が、実は当たり前では無い事を、親が自覚する事が先決なのです。

少し歴史を振り返ってみよう

心の病にかかる人の数は年々増加しています。
何故、増加していくのでしょう?

現在はストレス社会と言われていますが、戦中戦後の日本や高度成長時代の企業戦士のストレスの比ではありません。

空襲がある訳でもなく、赤紙で戦地に赴く事もなく、食糧不足も無い平和で豊かな現代の日本、福利厚生も行き届いた日本の社会が、何故ストレス社会なのでしょう?

それを理解するには、戦後の日本の歴史に目を向ける必要があります。


戦後の高度経済成長以降、人々は豊かな暮らしを求め、子供には「良い仕事」に就かせる為に、高い教育を受けさせようと親たちは必死で働いて子供を大学へ行かせようとしました。

丁度今の中国のような時代でした。

豊かな暮らしを求める為、共働きする家庭が増えて「鍵っ子」と呼ばれる子供が増えて行きました。

丁度その頃、それまでは「子供は遊びのが仕事」と言われていたのが、「子供は勉強するのが仕事」と言う世相に変わっり、「教育ママ」と言う言葉が生まれたのもこの時代です。

この時代に親子関係や家庭教育の変化が始まりました。

遊びよりも勉強、勉強させる為に友達と遊ぶ時間を減らされ、友達からライバルへの意識改革に似た世相が広まりました。

「友達同士助け合う」のではなく「友達は受験のライバル」で、相手を蹴落としてでも、「自分が良い学校へ入る」と言う風潮も生まれました。

そうした風潮は「受験生ブルース」と言う歌の歌詞にもなっているほどです。

「鍵っ子」は親子が接する時間が少ないため、親子関係の経験が少いまま成長して行きました。


その高度成長期時代に生まれ育った人達、いわゆる団塊の世代の人達が親になり、自分の子供たちにも同じ価値観で育て始めました。

自分たちの頃に輪をかけて、教育に熱を入れて育てるようになっていきました。


自分が親になった時に、自分が親と接した時間が少なければ、子供との接し方が分かりません。

その親の世代が、親から言われていたのが、「遊んでばかりいないで勉強しなさい」。
それがそのまま子供との接し方になります。。

子供は親子関係を他人に応用して社会性を持ち、応用すべき物が無ければ社会性を持てません。
そんな社会性を育てる事を無視した教育が当たり前の様に行なわれてきました。

そして、親は自分の時以上に遊びよりも勉強をさせるようになり、教育にかけるお金が必要になり、手に入れた生活水準を守る為に、新しい要因が生まれました。

それが「少子化」です。


少子化により子供の数が激減すると、遊べる友達の数も少なくなり、勉強勉強と言われない子供にも影響が出始めます。

クラスは学習効率から少人数制になり、子供の社会が小さくなって行きました。
つまり、子供の社会の「村社会化」です。

「団塊の世代」のように、多人数の多クラスであれば、様々な価値観に触れる事で自然と多様性が身に付きましたが、村社会では多様性は身に付付きません。

つまり、勉強や少子化により他人と接する機会が減り、子供社会が村社会化して多様性を失っている事が、ストレス耐性を持たない子供を作り上げているのです。

それに輪を掛けるように、携帯メールやインターネットコミュニケーションへの依存。

必要なのは、現実世界での人間関係の構築。

多くの人と接し、多くの人と話し、多くの人と喧嘩し、人を傷付け、傷付けられ、そして仲直りする経験を積み上げる事が、社会性やストレス耐性を身に付けるためには必要なのです。

異なる価値観を知り、異なる価値観を認め、異なる価値観を受け入れ共存する事で多様性を身に付ける事が必要なのですが、村社会では異なる価値は差別対象になります。

昔は、どのクラスにも「博士」と言われる何かに特化した知識を持った子供がいました。
そうした子供は、クラスの中でも一目置かれる存在でした。

それが、村社会化すると「オタク」と呼ばれ、軽蔑の対象にされたりします。
つまり異なる価値を認めていないのです。

異なる価値を認めずに育ち、社会に出ればどうなるでしょう?
社会には異なる価値が山のようにあり、それを受け入れる事ができません。
つまり、多様性を持たない事による、ストレスにさらされる事になります。

また、夏には汗をかき、冬には震える。
エアコンや暖房が効いた部屋で過ごしていては、「暑さ寒さを我慢する」と言う忍耐力が付かず、それがストレス耐性を低下させ、暑い時には汗をかき、寒い時には震える事が自律神経を鍛えます。

つまり快適な環境で育つと言う事は「我慢」と言う精神的なストレス耐性と、自律神経という神経的なストレス耐性の双方の低下を招きます。

つまり、「子供の為」と思ってやっていた事が、子供のストレス耐性を奪い、子供の社会性を奪っているのです。


当たり前と思ってやっている事をもう一度見直してみましょう。

例えば、学校に行くのに毎朝子供を起こす。
これは良い事でしょうか?悪い事でしょうか?

実はこれ「依存」なのです。

「依存」の対極にあるのが「自律」です。
ここから、すでに心の病の芽は育っているのです。

「依存症」でお馴染みの「依存」は、心の病の原因になり、依存から抜け出すには「自律」するしかありません。

子供を朝起すと言う事は、子供の自律を阻害しているのです。

ここで少しシュミレーションをして見ましょう。

朝、親に起されている子供が、親が起しても起きずに学校に遅刻した時、子供は誰を責めますか?

間違いなく親を責めます。

しかし、朝起きられない原因は、夜更かしや気の緩みで、それは本人の責任です。
親が起してくれると言う「依存」から、夜更かしをしたり、気が緩んだりする訳です。
そして、その責任を親にぶつけるわけです。

逆に、親が一切起さず、自分の責任で起きて学校へ行けと教育していたら?
子供は、朝起きる為に夜更かしをしないよう自分を律していきます。

真の教育とは、勉強で良い成績を収める事ではなく、自律した生活を送れるように育てる事なのです。

実践の基本的理念

被害妄想を持つ人に接するには、否定も肯定もせずが基本です。

何故、否定も肯定もせずが基本なのでしょう?
それは、否定や肯定は妄想を深めてしまうからなのです。
基本的な対応としては、相手が妄想の話をしだしたら話題を変えるのが推奨されている対応です。

しかし、それでは可もなく不可もなくの対応で、良くなる事もあるが、良くならない事もあるのです。

しかし、同じ様に「話題をそらす」と言う事でも、原理を知って行なえば結果は歴然と違ってきますし、より効果的な方法を行なう事も出来るのです。

さて、妄想を伴う心の病を持つ人が、治療を受けても治る人と治らない人がいます。
さて、その違いは?

誤診により合わない薬が処方されているからでしょうか?

では、良い医者と言われているのはどんな医者でしょうか?
それは、話を良く聞いてくれる先生と言われています。
そして、効果的な治療法として注目を浴びているのは、認知行動療法です。
なぜ、認知行動療法は効果が上がるのでしょう?

しかし、良い先生と言われる「話を聞いてくれる」お医者さんにかかろうと、認知行動療法を受けても良くならない人もいます。

さて、これらの違いは何故起きるのでしょうか?

答えは簡単。

妄想の原因は、前頭葉の未発達や退行若しくは障害にあるからなのです。

左脳は理論を司ります。
その左脳、特に左前頭葉が未発達の場合、オカルトに代表される「非科学的」な根拠の無い話や、荒唐無稽な物や理不尽な道理を信じてしまう傾向が出ます。

それが妄想となって現れるのです。

また、脳には扁桃体などの大脳辺縁系と呼ばれる原始的な脳と、人間が進化の中で獲得した大脳新皮質があり、前頭葉は大脳新皮質に属します。

扁桃体は感情を司り、前頭葉は思考を司ります。
つまり、前頭葉が発達していれば前頭葉主導になり、前頭葉が未発達なら扁桃体主導の脳になります。

扁桃体主導の脳になると、理性は低下して前頭葉は感情に理由を付けるだけの存在になってしまいます。

その為、妄想を理屈で説得しようとしても、理屈は理解できず、その理屈に対する感情に理屈を付けようとします。

なので、話は平行線をたどるだけ。
それだけではなく、私を騙そうとしているとか、犯人扱いされる事もしばしばあります。

さて、人間はその前頭葉を含む大脳新皮質をどの様に進化させてきたのでしょうか?

道具を使いこなす為と言うのが定説でしたが、最近ではコミュニケーションを取る為に進化してきた事が分かってきています。
動物の脳の大きさは、形成する集団の数に比例して大きくなっている事も分かっています。

道具を作り、使いこなすだけなら、人間のような巨大な脳はいらないのです。
ニューカレドニアカラスと言う鳥を御存知ですか?

枝で道具を作り、使いこなす鳥です。
カラス程度の大きさの脳でも、道具を作り道具を使う事が出来るのです。
しかも、そのカラスは、椅子と棒を置いてサルに高い所のバナナを取らせる思考実験のような、実験もこなします。

話は変わりますが、子供を生んだチーターは子供を連れて毎日何十キロも歩いて生活をします。
毎日何十キロも歩く事でチーターは時速100キロで走る事が出来るようになるのです。

チーターが早く走る事が出来るのは、元々持っている資質もありますが、チーターになるべく訓練されてチーターになるのです。

それは人間も同じ事。
人間になる資質は持って生まれてきても、人間になる訓練を積んでいなければ、人と言う名のケモノにしかなれません。

人間と人の違いは、人間になる「間」が抜けている事でもあるわけで、つまり人は「マヌケ」なのです。

これは未発達に関して書いた事ですが、脳が退行しても扁桃体主導の脳になります。

「脳の発達と衰退」で書いた「ガンザー症候群」は、囚人等に見られます。
その発症する環境が、外界との隔離環境にあります。

つまり、他者とのコミュニケーション不足が脳を退行させる原因になるのです。

それは、高次脳機能障害のような脳の外傷による機能不全でも同じですし、認知症でも同じです。

その為、前頭葉が正常に機能していなければ、病名に関わらず、症状は同じになる訳です。

さて、ここで何故話を聞いてくれる医者が良い医者で、認知行動療法が効果的なのか?
そして、治らない人と治る人の違いに話を移していきましょう。

話を聞いてくれると言う事は、コミュニケーションの時間を得られると言う事でもあります。
つまり、コミュニケーションを取る事で脳が活性化すると考えられる訳です。
「相手が妄想の話をしだしたら話題を変える」と言う接し方が有効なのも同じ原理なのです。

つまり、投薬で不安を抑えている間に、コミュニケーションで脳を活性化させて前頭葉主導の脳になれば病気は良くなり、投薬だけに頼れば脳は活性化されずに治らない。

認知行動療法は、論理的な思考をする事で左脳が鍛えられるから治りやすくなる。

後は程度と経験知(経験値)の問題です。

十分な経験値や、様々な概念を理解するのに必要な経験値をを積んでいれば、治りも早くなりますが、必要な経験値が低ければ治りは遅くなり、必要な経験値を持っている人が治ったからと言って、必要な経験値を持たない人が、同じ方法を行なっても治る物でもありません。

しかし、どんな経験が必要なのかが分からなければ、何が足りないのか分かりませんよね。
それを記したのが、テキストで使っている「JG式脳トレ」なのです。

そして、どんな経験値を持っていないのかを知っているのは、本人と親しかいません。

被害妄想とは感情に理屈を付けた物です。
妄想を理屈で納得させようとする事は、理屈を押し付ける事でもあり、理屈を押し付けられたと感じればそこにまた感情が生まれて、その感情に理屈を付けて来ます。
※相手との愛着の強弱により左右されます

それでは悪循環にしかなりませんし、論理的思考を司る左前頭葉が機能していない人に理屈を話しても理解できる訳もありません。

理屈で納得させる前に、理論を司る左脳を鍛えて理屈を理解できる脳に鍛える事です。

この項の最後に、最も大切な事を理解してください。

「一事経ざれば一知を得ず」
一つの事を遣り遂げて初めて、一つの知恵が身に付くと言う事。

経験値とは勉強の量ではなく、現実世界での経験の量なのです。
ネットでどれだけ友人を作ろうと、メールでどれだけ会話を重ねようと、経験値は0なのです。

「一つの事を遣り遂る」と言う事を、コミュニケーションで説明るとこうなります。

他人と出会い友人になる→友人と仲良くなる→その友人と喧嘩をする→喧嘩をした友人と仲直りする→仲直りした友人と以前より親密になる

ここまで経験して「一つの事を遣り遂る」と言う事で、喧嘩もしていなければ「遣り遂げる」と言う事にはならず、一知(経験値)を得ていないのです。

これはとても重要な事で、言葉を変えれば「その先を知らない」と言う事なのです。

その先を知らないから、不安や恐怖と言う感情に支配されるのです。
その不安や恐怖は「扁桃体」の感情です。

不安を克服するのに必要な物が、前頭葉でもあり、一度克服して「その先」を知ってしまえば、不安はなくなり、それがストレス耐性となります。

この「先を知る」と言う事は、全ての事に共通しているのです。
つまり、「先を知る」と言う経験値を多く持っていれば、その多くの経験知の予測から不安を持ち難くなり、先を知る経験知が少なければ「どうなるか分からない」と言う不安に支配される事になる訳です。

また、多くの経験をしていれば「上手くいかなかった」事も経験し、それを克服した経験も、克服できなくても「何とかなった」経験もストレス耐性となります。

次の実践編とは、培われてこなかったり、失われてしまった「社会性やストレス耐性」を身に付けるための方法論なのです。

実践編

基本的な接し方は「相手が妄想の話をしだしたら話題を変える」と書きました。

しかし、同じ「話す」にしても、効果的な話し方と非効果的な話し方があります。
それが「質問形式」による話し方なのです。

まず、人間は質問されると「自分に興味を持ってくれる相手」と感じ、その相手に親和性を持ち始めます。

相手に親和性を持たせる事が、何より必要な先決事項なのです。

そして、質問形式による話方は「自分の理解」に繋がります。
また、質問形式による話方は、論理的思考をさせる為の脳のリハビリにもなります。
(※ 非論理的な妄想を持ったり他者の非論理的な妄想を信じてしまうのは、理論的思考を司る左前頭葉の機能低下が原因)

女性には失礼な言い回しになると思いますが、女性は感情的な話になる傾向があり、男性は論理的な話が出来ても口下手であったりします。

そんな状態で話をすれば、相手は何も学べません。

しかし、「質問形式」と言う話し方をしている限り、男性でも女性でも相手を学ばせる事が出来ます。(テキストP25・P.114〜123参照)

そしてそれは、相手に対してだけではなく、自分(親)も相手を理解する事が出来ます。
質問形式で、問題を掘り下げていくように話してみましょう。

但し、質問する人が自己主張を繰り広げては意味がありません。

最も大切な事は「答えは自分で考えさせて、自分で答えを出させる事」なのです。
そして質問者は、正しい答えを出せるように「導く」事なのです。

正しい答えを導く為には、正しい答えを出す為に必要な「経験」を積ませる事も必要なのです。

それには時間が必要になります。

高次脳機能障害のように、外傷により発生した物でなければ、被害妄想に至るには長い年月を経ています。
それを早急に治そうと思っても、治る物でもありません。

被害妄想に至った期間、いやそれ以上の期間が掛かると思って、気長に相手をする事です。

鬱病等は、焦りが病気の原因になっていたりします。
その焦りを持っている人を治そうとするのに、周囲の人が焦っていたら逆効果にしかなりません。

周囲の人が、ゆったりとした流れを「見せる」事は「ゆったりとした流れ」を気付かせたり、身に付けて来なかった人には、見て学ばせる効果もあるのです。

親が「早く治そう」と焦っている場合、そうした親の影響で子供が「焦る」事しか学んで来ずに、それが心の病を引き起こす原因になっているのかもしれません。

そうした場合、まず親が反省し、親が手本を見せる事も大切なのです。

何故、そうした場合、親が手本を見せる事が大切なのでしょう?

それは、子供に焦らせたり、早く結果を出させようとして育てられて来た子供は、親に対して早くしないと「怒られる」と言う恐怖感を植えつけられています。

その恐怖感は、恐怖感を与えた親でなければ取り払えません。
遅い事に対して、親に対する恐怖感を持っている人が、他人から「ゆっくり」と言われても、その恐怖感はぬぐえませんが、恐怖感を植えつけた親であれば、その恐怖感から開放する事が出来ます。

こうしたケースで、その効果を飛躍的に高める方法があります。

それは、親が自分の非を認め、子供に頭を下げて「心から謝る事」です。
そして、子供と共に悩み、子供と共に解決しようとする事です。

「原因を探ってみる」の個別的要因と打開策

1. 仕事が忙しくて授業参観や運動会を見に行った事がない。

この場合、親に対する「愛着」が育っていない事が考えられます。
愛着は他人に対する信頼の基礎になり、愛着を持たない子供は他人に対する信頼を持たない為、社会性を身に付ける事が出来ません

成長してしまった子供に「愛着」を持たせる事は容易な事ではありません。

そうした子供に愛着を持たせるには「自らを犠牲にしてでも子供を守る」と言う姿勢を見せ、実践する事です。
損得ではなく、多くの物を失ってでも自分を守ってくれる存在に愛着を持ちます。

裏を返せば、会社を休んででも、自分の為に授業参観や運動会に来てくれる親に愛着を持つのです。
それは、自分が活躍する姿を見せて、認めてもらいたいと言う心理でもあるのです。
活躍できなくても、頑張っている姿を認められれば、それだけで頑張る、努力する、と言う心が芽生えます。

また、自分と仕事と言う「比較」としての心理も働いています。
自分より仕事の方が大切と言う意識の芽生えです。

親が、どれほど子供に対する愛情を伝える為に言葉を尽くしても、行動が伴っていなければ子供は親を信じる事が出来ません。

それは大人の世界でも同じですよね。
口先だけで行動が伴わなければ信用は得られません。

つまり、愛着(信頼)を与えずに育てて来た子供に愛着(信頼)を植えつけるには、子供に信頼されるだけの「対価」が必要になるのです。


2. 学校から子供が帰って、子供が話そうとした時に、忙しいからと子供の話を聞いてやらなかった。

子供が話をしようとする時に、忙しいとか疲れているという理由で、子供の話を聞いてこなかった場合、「自分に興味をもたれていない」と感じ、親に対する愛着の成長に支障をきたした事が考えられます。
また、親子の会話が少なければ、言語力の成長にも支障をきたしている事も考えられます。

それだけでなく、話す事に対する意欲も失っている可能性もあります。

子供が話そうとすると言う事は、「自分を知ってもらおう」、「自分に興味を持って」、「自分を見て」、などの心理が働いています。
それはコミュニケーションを求めようとしている訳で、それは子供にとってはコミュニケーションの練習でもあるのです。

コミュニケーションを求め、コミュニケーションの練習をしようとしている子供に、コミュニケーションを拒否すると言う事は、コミュニケーション力の成長を阻害するだけでなく、「コミュニケーションを取ろうとしても自分に興味を示してくれない」と言う潜在意識を作り上げてしまいます。

子供は常に「親との関係を他人に反映して社会性を身に付ける」のです。

こうして育ててきてしまった場合、今からでも遅くはありません。
子供に向き合い、会話の時間を増やしましょう。
その時に、子供の話に耳を傾け、否定は避ける事。
何よりも優先される事は「親和性」を身に付けさせる事です。

子供と話す時間を増やしていけば、徐々にですが社会性を身に付けていきます。
その時には「質問形式」の話し方を忘れずに。


3. 勉強と言う言葉を、子供の相手をする面倒から逃げる為に使っていた。

子供は親の期待に応えようとします
他の事では親に認められず、勉強が親に認められる手段だった場合、子供はテストで良い点を取ろうとします。
それは、学ぶべき他の事を犠牲にしていると言う事でもあるのです。
そして勉強が出来る事や学歴等に価値観を見出し、他の価値を認め難くなります。

学ぶべき他の事とは、コミュニケーション力であったり、多様性であったりするのです。
コミュニケーション力の低下は社会性の低下を招き、多様性の低下はストレス耐性の低下を招きます。

もし、勉強や学歴にしか価値を感じていない子供が、受験に失敗したらどうなるでしょう。
勉強や受験の結果に価値を見出している子供が、受験に失敗すれば「自分には価値が無いと言う自己否定」を招く事になります。
また、受験には合格しても、就職が決まらず意に沿わない仕事しかなければ、ニートになる傾向が強くなります。

こうした場合、他の価値観を教える為にも、多くの仕事を経験させる事です。
ボランティアへの参加等も効果的です。

お金ではなく、他者から感謝されて、必要とされる経験を積ませる事が効果的なのです。
人間は、利他行動をする不動物で、本能的に誰かの役に立っている事に喜びを感じ、誰かの役に立ちたいと感じます。

その経験を体験させ、他人から感謝される喜びを教えるのです。

他人の役に立つ喜びを知れば、自ら求めようとします。


4. 子供が夢を話した時に否定した事がある、若しくは夢について肯定的に語り合った事がない。

子供には夢が必要です。
勉強は、自分が興味を持っている事は、目に留まりやすく記憶にも残りやすくなります。
夢とは目標であり、目標があれば学ぶ能力は飛躍的に上がります。
そして、将来の夢を持たずに良い大学に入る事だけを目指してきた子供との大きな違いが、なりたい職業に就こうとする所にあります。

将来自分がなりたい職業も分からず、勉強だけしてきた子供は就職する時に目標をなくします。
その為、条件面や、その時の憧れだけで職業を選ぶ傾向があります。
それに対して、目標を持って勉強してきた子供は、職業を選ぶ時にも迷う事がありません。

目標とする仕事に就けなくても、関連企業や類似した職業を選びます。
そこに「入社してからの遣り甲斐」に大きな違いが生まれます。

遣り甲斐をもてる仕事は面白く、疲れを感じてもストレスは感じません。
しかし、遣り甲斐を感じない職業を続ける事は大きなストレスになります。

こうした場合、目標を持たせて再出発させたり、現在の職業の何処かに遣り甲斐を見出させる事が効果的です。

その場合、金銭的満足よりも、心の満足を優先させる事です。
給料が安いとか、福利厚生が充実していないかとかより「感謝される仕事」に重きを置く事です。


5. 小学生入学以降、子供との会話時間が少なかった。

親子の会話時間は、言語力に反映されます。
間違えてはいけないのは、言語力は喋るという意味ではありません。
自分の感情や思考を、言葉として表現できるか?と言う能力です。

言語力の備わっていない人の会話は、頭に思いついた言葉をしゃべっているだけで、体系だてた話しをする事が出来ません。

言語力が低ければ、自分の思いを屋人に伝え難くなり、その為他者から理解されず、孤立感を持ったりします。
それがそのままストレスとなって行きます。

また、会話の少なかった子供は、他人の顔を見て話すことが苦手になる傾向があります。
親子の会話は、言語力だけでなく、相手の表情を読み取ると言う能力の練習にもなり、親子間での会話が少なければ、相手の表情を読み取る経験が少ない為、脳が他人の表情を読み取ろうとする時に、脳が疲れてしまい、相手の顔を見て話す事が苦手になる傾向が現れます。

前頭葉を鍛えるのは、相手の顔を見て話をしたり、五感からの神経の刺激です。

つまり、顔を見て話をする経験が少なく育った子供は、前頭葉が発達しておらず、扁桃体主体の感情的な脳になっている可能性が高くなります。

こうした場合、まず会話の時間を増やす事から始めましょう。
何度も言うようですが、否定はせず、質問形式で話す事を心がけましょう。


6. 子供はゲームや携帯に熱中して、友達と外で遊んでいた時間が少なかった。

前頭葉を鍛えるのは、顔を見て話しをする事と、五感からの刺激です。
TVゲームや携帯には、その要素が含まれていません。
その為、TVゲームや携帯メールばかりしていた子供は、前頭葉が未発達である可能性があります。

また、社会性とは協力と分け合いであり、その協力と分け合いを学ぶ概念が「かわりばんこ」なのです。

対戦プレイに代表されるように、TVゲームには「かわりばんこ」の要素が少なく、社会性の基礎となる「協力と分け合い」の概念が育っていない可能性があるのです。

ゲーム感覚という言葉があります。
それを私流に説明すれば、ゲームは視覚と音の刺激しかありません。
視覚をX、聴覚をYとしてグラフを作れば二次元のグラフになります。

そこに、触る、触られる、と言う触覚が加わって、初めて3次元になります。

触る、触られると言う感覚は、感情を生み出します。
逆に言えば、触覚からの刺激が少なかった子供は感情が育っていないとも言えるのです。

ゲーム感覚には感情がありませんよね。

では、そうして育ってきた子供にはどうしたら良いのでしょう?

それは、出来る限り触れ合う事です。
人に触れば体温を感じます。
その暖かさが感情を生みます。

子供の頃に、じゃんけんで負けたら、次の電柱までおんぶと言った遊びをしませんでしたか?

そうした、肌と肌を触れ合うように時間を多く作る事です。
それに、かわりばんこの要素を入れることもお忘れなく。


7. 友達と喧嘩をして、仲直りをした経験が無い、若しくは少ない。

今の世の中、暴力は否定され、子供同士が殴り合いの喧嘩をする機会が少ない世の中になっています。

しかし、子供の心の成長にとって、殴り合いの喧嘩は必要な事でもあるのです。
殴り合えば殴られれば痛い思いをします。
その痛い思いをする事が、とても大切な事なのです。

そして「やればやられる」と言う事も理解します。

自分が痛い思いをしなければ、他人の痛みを理解できません。
痛みを知らなければ、他人に対する共感性が低くなります。
また、喧嘩をすれば、勝っても負けても嫌な思いをします。

そして、喧嘩をした相手と仲直りすれば「喧嘩をしても修復できる」事を学びます。

こうした喧嘩は、まだ力の弱い小学生の時に経験しておく事が理想で、中学に入れば力も強くなるので難しくなります。

子供の喧嘩は「その先を知る」大切な機会でもあるのです。

こうした感覚は、人生においてかなり大切な事なのです。

喧嘩をした事のない子供は、喧嘩をすれば勝っても負けても嫌な思いをすることを知りません。
その為「勝ったら気分が良い」等と考えてしまいます。
そして、勝っても気分の良い物ではないと言う事を、どれだけ説明しても理解する事が出来ません。

それが被害妄想に大きく影響します。
「自分を監視したり、自分に嫌がらせをして楽しんでいる」と言う感覚もそれに当たります。

他人を監視してもストレスが溜まるだけで、何も楽しい事等ありません。
他人を監視する位なら、もっと楽しい事は山ほどあります。
動きが無ければ、いつまでもボーっとしていなくてはならない監視の何処が楽しいのでしょう?


そうした感覚が身に付いていないから、やる人の感覚が分からず、被害妄想に拍車を掛ける事になっています。

それは、裏を返せば「他人の気持ちが分からない」と言う事でもあり、「他人の気持ちを自分勝手に想像している」と言う事でもあり、それは社会において他者から敬遠される要素になります。

しかし、本人はそのズレに気付く事はなく、自分は正しいと思い込んでいたりします。


こうしたケースの場合、虚勢を張ったり強がりを言う傾向を持ちます。
その為、自分が困っている事を他者に言えず、誰からも助けられない孤独や疎外感を持つようになります。

こうした人に有効な方法は、コミットメントが自然に出来るようにする事です。
強いと言う事は、自分の弱さを認める事です。

自分の弱さを人に話せば、人はその弱さを補ってくれます。
強がらずに、自分の弱さを他人に打ち明ければ、他人も弱さを打ち明けてくれます。

そして、弱さを持っているのは自分だけでない事を知り、孤独感や疎外感は消えていきます。






妄想の原理を理解する


技術的理解を深める


一緒に考える


自分で気付かせるように誘導する


欠けている物を身に付けさせる

焦りは禁物、3歩進んで2歩下がる








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