第1章 「盗聴」と言う都市伝説

これからの発見業者のあり方

テレビなどでも特集が組まれる”盗聴”。

盗聴発見業者のページを見れば色々な事例が記載され、ネット上には盗聴の不安を訴える人が後を絶ちません。

しかしご存知ですか?盗聴調査を依頼して来る人の家に盗聴器が付いている確率が1/1000も無い事を。

実は既に盗聴は殆ど都市伝説となっているのです。

 

では何故、盗聴が都市伝説となってしまったのでしょう?

私がこの仕事を始めた西暦2000年頃には確かに有りました。

盗聴器と呼ばれる電波式盗聴器には2種類あります。

それが室内盗聴器と電話盗聴器です。

テレビ特集などでは室内から盗聴器が見付かる場面ばかり見かけますが、実際には盗聴器は電話盗聴が主役なのです。

テレビ特集で電話盗聴を見つけるシーンが無い理由は、電話回線を触ると電気通信事業法違反になってしまうので、電話回線は触れませんので電話盗聴を見つけるシーンが作れないのです。

ですので、盗聴特集は室内盗聴だけになってしまい、それが一般的な盗聴のイメージとなっているのです。

まずそこから、一般的なイメージと現実には乖離が起きているのです。

その電話盗聴も、西暦2000年頃はまだ固定電話が主役でしたが、携帯電話が普及して固定電話を引かない人が増え、その固定電話もIP電話や光回線など盗聴出来ない回線が普及した為、今では電話盗聴が出来ない環境になっているのです。

因みに携帯電話は盗聴できません。

では、室内盗聴は?と言えば、侵入を必要とする室内盗聴はディンプルキー等の普及で侵入が難しくなっていますし、そもそも室内盗聴は被害者心理と犯罪者心理が乖離しているのです。

被害者心理からすると、部屋の盗聴器を仕掛けられると何でも聞かれてプライバシーが筒抜けになってしまうように思えて、怖いものに思えます。

しかし、自室に盗聴器が仕掛けたれていたとして自室で何を話しますか?

自室でしている事は、本を読んでいるか、スマホやパソコンをしているか、寝ているか、ゲームをしているか、勉強しているか位で自室で会話は殆どしません。

そんな部屋に盗聴器を仕掛けて何が聞えるのでしょう?

こう話をすると、多くの人は「携帯での電話の内容」と答えます。

では携帯の電話は常にしているのでしょうか?

それを、盗聴する側になって考えて見ましょう。

盗聴する側は、何時電話をするかが分かりませんので、電話をするまで聞き続けなければなりません。

テレビの音とか物音しか聞えない音を延々と何時間も延々と聞き続けなければならないのです。

やってみると分かると思いますが、そんな事は2時間が限界でそれ以上は精神的に持ちません。

それを毎日聞き続けるなんて事は、苦痛以外の何者でもありません。

こうした所に被害者心理と犯罪者心理の乖離が生じているのです。

被害者心理では、何故盗聴されるかと言う動機を「面白がって」と言う人もいますが、犯罪者心理では「苦痛」です。

また、被害者心理では筒抜けに思えますが、聞く側からすれば情報は無く労力の無駄で滅多にお目にかかれる物ではないのです。

その乖離を如実に表しているのが、冒頭で書いた1/1000未満と言う数字なのです。

つまり、現実には我々の様な盗聴発見業者の出番はすでに無くなっているのです。

 

しかし、現実的な盗聴の危険性の低下とは逆に、盗聴の不安を抱える人は増加しています。

 

何故なら、盗聴の不安と精神疾患は表裏一体で、鬱病などの精神疾患を発症する人の急増に比例して盗聴の不安を抱える人も増加しているのです。

盗聴の不安を感じ始めた人が、最初から精神科や心療内科に相談はしません。

我々の様な盗聴発見業者に相談します。

その最初に相談を受ける我々が、鬱病などの精神疾患の兆候を見抜ければ、発症直前であれば発症を回避する事も可能ですし、既に発症していたとしても早期発見して治療に向かわせれば早期回復にも繋がります。

これは鬱病などの精神疾患に限らず認知症も同じです。

実際、空き巣に入られたと言う一人暮らしの年配者の認知症を見出し、何人もの年配者を治療に向かわせています。

これからの盗聴発見業者のあり方は、盗聴発見技術や知識だけでなく、心理や精神疾患の知識も持ち、精神疾患や認知症の事前回避や早期発見に尽力し、早期治療へ導く事がこれからの業務だと考えます。

 

これが出来ない旧態依然とした業者は、社会の不安を煽ってニーズを作り出して行かなければなりません。

ですから、旧態依然とした業者のサイトは不安を煽る内容になっているのです。

そして、その煽った不安がまた都市伝説となって行くのです。

 

私は悪戯に社会に不安を撒き散らす業者ではなく、社会に貢献する業者を目指したいと思います。

 

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第2章 被害妄想と社会性

被害妄想とは

実際には盗聴器が無いのに盗聴されていると思えてしまうのは被害妄想です。

被害妄想と言うと聞こえが悪いかもしれませんが、被害妄想とは「不信感による疑心暗鬼」なのです。

つまり、盗聴を疑っていると言う事は、誰かに対して不信感を抱き疑心暗鬼が生じていると言う事です。

まず、この被害妄想の意味を理解する事です。

例えば、盗聴を疑っている人のご家族の方は「そんな物は被害妄想だ」と、被害妄想と言う言葉だけで納得させようとします。

しかし、被害妄想は不信感から来る疑心暗鬼ですので、不信感を取り除かなければ疑心暗鬼は無くなりません。

その不信感も社会性に直結していて、不信感を抱いていると言う事は社会性の低下を意味します。

そもそも社会性は他者を信じる事で成り立っていますので、他者を信じられなくなれば必然的に社会性も低下するのです。

 

社会性とは

社会性は「協力と分け合い」で成り立っています。

その協力と分け合いに、他社への信頼は欠かせないのです。

例えば、協力しても何も与えられなければ誰も協力しません。

協力したら与えてくれると信じるからこそ協力するのです。

働いても給料が出なければ誰も働きませんよね。

誰も働かなければ社会は崩壊してしまいます。

お金ですら信用で成り立っています。

国家がお金の価値を補償しているから、単なる紙切れが価値を持っているのです。

その国家に信用が無くなれば、お金は紙くず同然になってしまいます。

つまり、社会は信じる事で成り立っており、信じる事が社会性の基礎になっているのです。

 

社会性の習得

社会性は勉強して身に付けられるものではありません。

社会性は親子の愛着を他人に広げた物でありそれが信頼です。

そして、親子の愛着が育っていなければ他者への信頼も生まれませんし、愛着が不完全であれば他者への信頼も不完全なまま広げてしまいます。

親子の愛着が育たない代表的な物が虐待とネグレスト、不完全な物の代表的な物が共依存です。

また、家庭は社会の最小単位で、その家庭の中で社会性に必要な感覚や概念を習得して育ちます。

例えば「お手伝い」は共同作業の第一歩で、親のお手伝いをする事で共同作業の楽しさを学びます。

しかし、お手伝いをさせて来ないと共同作業の楽しさを学べません。

お手伝いをして上手に出来たら褒められる。

その時に嬉しいと思う感覚が向上心になります。

そうした共同作業の楽しみや喜びを学んで来なければ、社会に出て働いた時に労働はストレスとなってしまいます。

また「交代」と言う概念も社会性には必要で、交代には「自己主張」と「自己抑制」が必要です。

それを学ぶ場が、昔からの遊びです。

例えば「鬼ごっこ」ですが、鬼は交代で遊びます。

遊んでいる子供の中で、「鬼は嫌だ」と言ってやらない子どもがいたら鬼ごっこは出来ません。

皆で楽しく遊ぶ為には、嫌だと思ってもやる自己抑制と、やらない子どもに「ズルイ」と言う自己主張が必要なのです。

それを、何度も繰り返して身に付けて行くのです。

これも、社会に出てからとても必要な事で、それが当たり前のように出来なければ、社会に出ると多大なストレスを受ける事になってしまいます。

鬼ごっことか、かくれんぼなどの昔ながらの遊びには、こうした社会性を身に付ける要素が多分に含まれていますが、TVゲームにはそう言った要素が含まれていません。

ですので、昔ながらの遊びをせずにゲームTVゲームばかりしていたり、受験勉強で昔ながらの遊びをしてこなかったりすれば、当然社会性も低くなってしまいます。

間違えやすいのは、そうした感覚を身に付けてこなかった子供でも「振り」は出来るのです。

自然に出来る子と、振りの子供は見ただけでは分かりませんが、社会に出てから感じるストレスが全く違うのです。

その外にも、社会性に必要な物は沢山あります。

意外と知られていないのが、表情の読み取り能力の必要性です。

社会性に必要な物にコミュニケーション能力がありますが、コミュニケーションと言えば恐らく殆どの人が「言葉」と答えるでしょう。

しかし、言葉と同じ位表情の読み取り能力が人間の脳にとっては必要なのです。

霊長類の顔に毛は生えていませんよね。

それは何故でしょう?

それは霊長類は表情で情報を伝達している為、その表情を読み取り易くする為に、顔に毛が生えていないのです。

人間も霊長類であり同じなのです。

ですので、赤ちゃんはまず顔を認識するようになりますし、大人でも顔と同じ配置の物を見ると顔と認識してしまうのです。

表情の読み取りは相手の心の読み取りであり、表情のない相手には不気味さを覚えるのです。

それは、相手の表情を読み取れなければ、相手に不気味さを覚えると言う事でもあるのです。

その表情の読み取り能力は、幼少期よりの顔を向き合わせたコミュニケーションの積み重ねによる表情データの積み重ねで得られます。

その為、表情データの積み重ねが少なければ表情の読み取り能力が低くなってしまうのです。

つまり、子供の頃からコミュニケーションにメールやSNSを使っていれば、表情データの蓄積がされずに表情の読み取り能力が低下してしまうのです。

読み取り能力が備わっている子と、備わっていない子も見た目は変わりませんが、違いは知らない人と顔を合わせたコミュニケーションをした時に脳が混乱を避けるために、目を合わそうとしなかったり、相手の顔を見て話す事が苦手になります。

顔を見て話せなければ、社会での評価は低くなってしまいます。

 

社会性と被害妄想

さて、社会性が低い事と被害妄想はどの様に関係しているのでしょう。

他者を知るにはコミュニケーションを図るしかありません。

その他者とのコミュニケーションで、表情の読み取りが出来なければ相手の真意が分かりません。

他者とのコミュニケーションが苦手で、他者とのコミュニケーションが少なければ、他者が何を考えているのかを想像で考えるしか有りません。

その想像こそが妄想なのです。

また、

社会性は「協力と分け合い」で成り立っています。

その為、人間には「返報性」と言う性質が備わっており、何かを与えられたら何かを返そうとするのです。

与えられるだけで何も返せなければ返報性が満たされません。

すると深層心理の中で自責の念が生じてしまいます。

例えば、期待されているのに結果を出せなければ、申し訳なさや危機感を感じてしまいます。

危機感を感じていると、何気ない一言が嫌味に感じたりします。

それが被害妄想の始まりで、自責の念から物事を悪い方に考えてしまうのです。

つまり、他者の言動や行動に悪意を感じ始めるのです。

こうなると、保身の為に身の周りの悪意を探し始めてしまうのです。

この状態になると、見えている世界の感じ方が変わってしまうのです。

例えば「誰かが見ている」と言う事象一つとっても、主観一つで正反対の感じ方になってしまいます。

他者への信頼があれば「見守り」が不信になると「監視」になり、気遣いもハラスメントとして感じてしまいます。

つまり、他者への信頼と不信の違いで、日常が自分に対する嫌がらせなどの加害行為に感じてしまうのです。

 

認知症の人に見られる「取られ妄想」も、この返報性が起因しています。

取られ妄想で犯人扱いされる人は、決まって熱心な介護者なのです。

その理由は、介護されるだけで何も返せず返報性が満たされないのです。

与えられたら与え返すと言う事は、返さなければ与えられないと言うことでもあり、社会から見捨てられる不安が生じるのです。

つまり、一方的に熱心な介護は返報性を奪うことになり、奪った者に恨みの感情を抱いてしまうのです。

 

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第3章 知っていると知っているつもり

知ってるつもりと言う無知

ネットで何でも調べられる時代において、間違えやすいのが「知っている」と「知っているつもり」の違いです。

ネットで調べると言う事は「知っている気」になっているだけで、本当の事は何も分かっていないのです。

例えば、「盗聴されているかもしれない」と思いネットであれこれ調べたとします。

そして業者のページを見ると、色々な事例や方法が書いてあります。

しかし、第1章で書いたように、依頼者のお宅に着いている確率は1/1000以下です。

実は、殆どの業者は技術は持っていても本物を見つけた事が無いのです。

業者の発する情報には必ずベクトルが入っており、そのベクトルは利益に繋がるように書かれています。

つまり、どれほど高度な技術を持っていても、発見業者を名乗っていて実際に見つけた事が無いと正直に書いていたら誰も依頼しませんよね。

ですので、書かれている事例は「作り話」が大半を占めているのです。

しかし、読む人にはその虚実は分かりません。

殆どの人が「業者が書いている事だから事実だろう」と信じてしまうのです。

これを「権威性」と言います。

人はそこに権威性を感じると、経験した事が無い話でも信じてしまうのです。

信じるだけなら良いのですが、それを現実だと思ってしまうのです。

つまり、知っている気になっているだけで、本当は何も知らないのです。

 

経験で学ぶ必要性

全ての動物は経験によって学びます。

人間は文字や言葉で学びます。

それ故、自分の経験を他者に伝え、後世に知識や技術や経験を伝えることが出来るのです。

しかし、その文字や言葉で覚えた知識には、同じ経験が伴わなければ妄想と変わらないのです。

その代表的な物が「アポロ11号の疑惑」です。

人類で始めて月に行ったアポロ11号には幾つかの疑惑が持たれました。

その一つが、月面に立てた旗です。

空気の無い月面に立てた旗がはためいている映像を見た人が、「空気の無い月面で旗がはためくのはおかしい」と捏造説を唱え始めました。

そう言われると尤もの様に思えてしまいます。

そして、空気の無い月面で旗がはためくのはおかしいと思った人は捏造説を信じ、他にも色々とおかしい所を見つけてしまうのです。

例えば、砂浜に残った足跡は崩れてくっきりとした足跡にならないのに、月面の足跡はクッキリ残っているから怪しい。

確かに、砂浜などに足跡をつけてもクッキリと残りません。

しかし、それは使う理屈が違うのです。

人は自分が経験で知っている環境で物事を考えてしまいます。

月面と言う、水も空気も無い環境の事を、知っている情報を駆使して考えるのですが、空気が無い、重力が小さい程度の事しか思い浮かびません。

それ故、捏造説に信憑性を感じてしまうのです。

 

しかし、空気が無いと言う事は、空気抵抗も無いと言うことです。

空気が無い月面で旗がはためくのは、立てる時に揺れた為、慣性の法則で動き続けているのです。

空気が無い事から、慣性の法則が思い浮かぶ人はまずいません。

それは、身近で経験していないので思い浮かばないのです。

足跡がクッキリ残るのは、地球の砂は風化によって作られますが、月の砂は隕石の衝突で舞い散った粉塵が積もった物です。

衝突で発生した粉塵は、水や風で風化しませんので角が尖った砂なので、足跡がクッキリ残るのです。

これも、月の砂を地球の砂と同じに考えてしまうので、そう言った疑惑が生じてしまうのです。

そして、これらは実験で確かめる事ができます。

このアポロ11号の捏造説は、疑心暗鬼になった人の行動を如実に表しています。

それが「探す」と言う事です。

「旗の動き」と言う一つの疑惑が見付かると、疑惑の目を持って他の怪しい所を探すのですが、月面など経験したことなど有りませんので知っている常識だけで探してしまうのです。

そして、足跡の違いを見つけたり、その外にも「影なのに明るい」だから照明を当てている等、様々な怪しい所を探して積み上げてしまうのです。

因みに、影なのに明るいのは月が太陽の光を反射しているからで、月全体がレフ版なので明るく映るのです。

 

ネットで調べる事の危険性

このアポロ11号の捏造説を信じる人の特徴は、第一に「疑いを持っている事」でそれが「不信」です。

第二に「疑いの目を持ち怪しい物を探す」と言う事です。

怪しい物を探すと言う事は、怪しくない所はスルーして、怪しい物にしか興味を示さなくなってしまうのです。

また、「怪しいとは知らない事」ですので、怪しい物を探すと言う事は、知らない事を探して怪しんでいるだけなのです。

そして第三に「怪しい情報だけを収集」してしまうのです。

怪しい情報が集まると、疑惑が確信に変わります。

その状態は、自分の疑惑に都合の良い偏った情報だけ集め、都合の悪い物は拒絶している状態です。

その情報の偏りを「情報の非対称性」と言い、そこで発生するのが「逆選択」と言う現象です。

ネットで調べると言う事は、自分の求める情報ばかり収集し、興味の無い情報に目を通そうとはしません。

そこに情報の非対称性が生まれ、逆選択に陥ってしまうのです。

そしてネットで調べる時、自分の知っている範囲での判断になるのですが、殆どの人は実際の盗聴器とか盗撮カメラの事など知りません。

それをネットで調べても、内容の真偽など分かるはずもありません。

真偽も分からず、ネットに書いてある情報をつまみ食いして、知った気になっている人がとても多いのです。

極端な人になると、ネットで「ピンホールカメラは1mmの穴があれば撮影できる」「電源があれば撮影できる」と言った情報をつまみ食いして知った気になり、AV機器に付いているリセットの穴を見付けて「盗撮カメラだ」と思い込んでいた人がいました。

それは、我々から見ればカメラではない事は一目瞭然でなので「多分違いますよ」と言うと、「あなた本当にプロなの!」と怒り出す始末。

カメラと言う物は、被写体にレンズを向けなければ映りません。

AV機器の穴は裏側についていて、裏側は壁に向いていたので、カメラが仕込まれていても映りませんし、仕掛ける人もそんな向きには設置しません。

しかし、その人はネットで隠しカメラのレンズの穴を見て、それと同じ様な穴を見つけて「盗撮カメラ」と確信していました。

恐らくその人は、盗撮カメラと同じ穴を見て「多分違う」と言われたので、この人は「盗撮カメラの穴を知らない」と思ったのでしょう。

そして、穴の中を覗いたのですがレンズは無いので、「レンズも有りませんよ」と言うと「ネットに穴があれば写せるって書いてありました、あなたプロなのにそんな事も知らないの!」と言われ追い返されました。

長年調査をしていると、こんな人に度々遭遇します。

そうならない為にも、ネットで調べる前に調査をして、調査と同時に正しい知識を実験を交えて経験として学び、その上で出来る事と出来ない事を理解する事です。

その経験としての理解が無ければ「穴があれば写されてしまう」の様に、主観に左右されてしまいます。

 

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